光陰矢の如しというけど、ブログをやってると月日がたつのがほんっと早い。
事象があっというまに過去になってゆく。
福島県沖震度6強の第2弾も、太陽のミロクの第2段階開始も、ミステリーエッグの第2の孵化も、すでに一、二ヶ月前の話。
ニュースとしての新鮮味は、またたく間に失われる。
ただ厄介なことに、シクミにとってはすべてが「いま」。
何年前の過去だろうと、何年後の未来だろうと、みんな同時進行。
僕はよくむかしの記事を引用するけど、それが「いま」だからだ。
つまり過去に未来が表現されていたわけ。
そういった意味では、先月。
この↓米エマニュエル駐日大使と「ヒロシマの岸田」の対プーチン・ヒロシマパフォーマンスの「十」日後。
(ちなみにエマニュエルは、神はわれらとともにって意味)
原爆ドームの川辺で、いるはずのないオオサンショウウオが見つかったのも、確実に警告のメッセージだし、表現された未来だと思う。

僕には全身ケロイドの子どもの姿にしか見えない。

オオサンショウウオは安佐動物公園に保護されたが、4月22日、母なる地球の日(アースデイ)に死んだ....。
表現された未来って意味では、3月16日の福島県沖震度6強第2弾で脱線した「やまびこ223号」もそうなんだろうな。
以下、「やまびこ223号」の事象が暗示する未来について、ちと考えていきたい。
「やまびこ223号」が脱線したのは、宮城県白石市。
かつての仙台藩だ。
仙台藩といえば、伊達政宗。
イザナミ高天原の「日高見」を代表する戦国武将である。
不思議なことに去年の第1弾も、ことしの第2弾でも伊達政宗像が被災している。
第1弾では仙台市博物館にある胸像の兜の「三日月」が折れ。
第2弾では、仙台城の騎馬像が(西に)傾いた。
大震災でも大丈夫だったのにだ。
政宗像が象徴的に狙われた理由は、これ↓だろう。


伊達政宗の日の丸の旗印と、兜の三日月の前立て。
「日」と「月」だ!
おまけに政宗は独眼竜。
失明したのは右目。
神生み神話では、右目といえば月読尊。
つまり政宗像の件は、「月黄泉のオレオレ事象」でもあるわけ。
こんどはオレだよオレ。
って。
1stステージは太陽のミロク。
2ndステージは月のミロク。
伊達政宗の「日と月」の構図は3月31日に、より明確なカタチで示された。
京都府亀岡市の地震だ。
×1.3の大規模太陽フレアとリンクした、深さ13km、M4.4の震度4。
震源は月読橋(小川月神社)付近。
すでにお伝えしたとおり、太陽のミロクと月黄泉の共鳴地震である。
「火の禊の十字→ 月のミロク誕生」へのセッティングだ。
この亀岡の地震も福島県沖震度6強も、「太陽のミロク」がサイクル24の「2011年3月」を再現するなかで発生している。
👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-554.html
2011年3月の福島第一原発大爆発により、各地の原発は順次停止。
2012年5月5日に最後の泊(とまり)原発が止まり、日本原子力史上初の「稼動原発ゼロ」が実現する。
7月1日には関電が大飯原発3号機を再稼動させてるので、2ヶ月足らずの「原発ゼロ」だったわけなんだが、そのわずかの間に起きた世紀の大イベントが、5月21日の129年ぶりの金環日蝕。
「原発ゼロの金環日蝕=太陽のミロクの誕生」だ。
すごいよね。
日本中の原発が、太陽のミロクのために停止させられたんだもん。
その発端となったサイクル24の「2011年3月」を、現在のサイクル25の太陽が再現したということは、あきらかにつぎの「月のミロク」誕生への布石がいま打たれてるってことだろう。
3月末にはじまった亀山の地震は、そういう地震だ。
そして3月16日の福島県沖震度6強第2弾も、「やまびこ223号」の脱線もまた、そういう地震だし、事故なのだ。
「やまびこ223号」については、これまで。
「2011年3月」の東北新幹線「はやぶさ」や、「常盤グリ-ン」。
東日本大震災の「フェニックスゴースト(黄泉がえる怨霊)」たる平将門公とのつながりで書いてきた。
👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-543.html
でも1stステージとの共通項はそれだけじゃない。
なんで金華山(廃)神社を通過中に地震が起き、脱線したのか?

☆印が現場
その理由には「将門の首」のほかにも、もうひとつ別のキーワードが浮かび上がる。
「陸奥の金」だ。
新型コロナにつぐロシアのウクライナ侵攻。
ロシアへの経済制裁。
おかげで金価格は4月18日に史上最高値の「¥8843」。
オオナムチ出雲の4月20日には¥8969に達したけども。
金華山神社といえば、「陸奥の金」。
「金華山」の由来は、大伴家持のこの歌にあるともいわれている。
>天皇(すめらき)の御代栄えむと東(あづま)なる
陸奥(みちのく)山に金(くがね)花咲く
日本ではじめて金が産出されたのは、奈良時代の宮城県(陸奥国)。
かつては牡鹿半島沖の霊場、金華山が採掘地とされたけど、いまでは宮城県遠田郡涌谷(わくや)町だったことが発掘調査で確認されている。
で、その金は、東大寺の大仏に使われた。
天平勝宝4年(752年)4月9日の開眼当時、大仏は全身、陸奥の金でコーティングされていた。
上記の歌は、聖武天皇から金産出の大喜びの報告(詔)をうけた家持が詠んだものだ。
「陸奥の金」については、1stステージでずいぶん書いた。
それだけ事象化してたってこと。
とくに地震でだ。
2008年の出雲大社大遷宮開始につづいて、岩手宮城内陸地震(震度6強)が起きたの憶えてると思う。
震源は縄文時代の祭祀跡が由来とされる、岩手県一関市の「祭時」山付近。
一関市といえば、黄金の都平泉の「金」だ。
奥州藤原氏を支えた金山跡が点在する。
以降、「大仏の金」の宮城県涌谷町をはじめ、金採掘とVS蝦夷のために大和朝廷がつくらせた桃生城柵。
さらには秋田の雄勝など、各地の城柵でも共鳴地震が頻発。
で、その流れが、2010年の奈良・平城京遷都1300年祭。
国道369号の平城京(東大寺・春日大社)を中心とする、「ミロクの犠牲の十字」の成立。
そして「陸奥の金」と「蝦夷」の、東日本大震災へと発展していったんだよな。
「3・11」。
すなわち「母なる水の禊」はまさに、「ミロクの犠牲の十字」を介した「奈良東大寺」と「陸奥」のシンクロで起きた。
東大寺二月堂の「十一面悔過(修二会)」である。
通称は、「お水取り」だ。
涌谷町との神社つながりは次回にまわすとして、1stステージの「陸奥の金」が、「やまびこ223号」の脱線現場に反映されたのはまちがいない。
当日「やまびこ223号」は、ローカル線遅延の影響で4分おくれで走ってたしね。
もし定刻どおりなら、とうぜん金華山神社は示されなかったわけだ。
脱線すらしなかったかもしれない。
そういう抜群のめぐりあわせを平然とやってのけるが、シクミなんだよな。
脱線現場が金華山神社だったのは、1stステージの「陸奥の金」のやまびこ(こだま)だ。
しかも廃神社ってトコがまたミソなんじゃないかな。
まるで未来を予告してるかのようだ。
「太陽のミロク」は「ミロクの犠牲の十字」によって誕生した。
平城京遷都1300年祭では、「弥勒プロジェクト」というキーワードも示されている。
ことしもその2010年とおなじ寅年。
おなじ諏訪大社の御柱イヤー。
あのときは「88の御柱」。
今回は「99の御柱」。
あのときが「太陽のミロク」なら、今回は「月のミロク」だ。
思い出してほしい。
去年の12月14日。
北緯36度の「ミロクライン」で織田信長の氏神、劔神社(福井)の社務所が正月の縁起物とともに焼失。
ミロクの「オワリのシクミ」が起動した。
とお伝えした。
ことし1月30日には奈良市「R369」の一体山付近で震度3が発生。
ついに「ミロクの犠牲の十字」が動いた!
👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-512.html
そして2月20日。
北京冬季五輪で示されたのが、これ↓だ。

3月には「太陽のミロク」が「2011年3月」とおなじ黒点相対数を示し。
その状況下で3月31日。
太陽のミロクと月黄泉の共鳴地震。
京都府南部の亀岡の地震がはじまった。
5月2日には、亀岡の震度4と「月天子」発見のニュースもリンクしている。
これってさ。
まさに、「弥勒プロジェクト」じゃないの?
「月のミロク誕生プロジェクト」だ!
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが自殺した5月11日。
JR東海が、あらたなキャンペーンをスタートした。
いざ鎌倉ならぬ。
「いざいざ奈良」。
いまのこの流れで「陸奥の金」の大仏さんの奈良だよ。
このキャンペーンもまた「ミロク・プロジェクト」の一環。
いざ、いざ、ミロクの犠牲の十字へ!
ってことなんじゃないの?
いまなおつづく、2020年の「GOTO黄泉」「GOTO黄泉がえり」ばりのキャンペーンだ。
JR「東海」ってトコもミソだろう。
東海地方といえば、駿河トラフ。
「223」の富士山だし....。
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2022.05.24 / Top↑
久遠田
↓こうういうニュースが出ていましたが
祠再建に反対のコメントも多い模様。
「鹿児島県南さつま市笠沙町片浦沖の神ノ島の山頂にあると伝わる、皇祖神ニニギノミコトをまつる石の祠跡を地元の住民グループが発見しました。
文献には残っているがこれまで未確認でした。
土地所有者の許可を得られたら祠を再建したい。」
とのことです。
祠再建に反対のコメントも多い模様。
「鹿児島県南さつま市笠沙町片浦沖の神ノ島の山頂にあると伝わる、皇祖神ニニギノミコトをまつる石の祠跡を地元の住民グループが発見しました。
文献には残っているがこれまで未確認でした。
土地所有者の許可を得られたら祠を再建したい。」
とのことです。
2022/05/26 Thu 11:18 URL [ Edit ]
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