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どっかの番組で。
「私は2009年から13年まで、よくドネツクに行ってました。
平和そのものでしたね。
ロシア系住民が差別されてるとか、そういうことはぜんぜんないです」

といってる日本人の教授がいた。
だからプーチンの主張はおかしいってわけだ。

ちょっと信じられない。
じゃあなんであんた、2014年以降は行けてないんだ?
って話。

専門家ならちゃんといわなきゃダメっしょ、ソコ。
それとも、TV局の台本どおりに話しただけ、ってか?

なんどもいうけど僕はプーチンびいきではない。
でもマスコミが一方的すぎてあまりに気色わるいんでね。

僕らは当事国ではない。
客観的な判断が許される立場。
というか、客観的に判断しないと世の趨勢を見誤る立場にいる。

なのになんで、国家総動員戦時下の「鬼畜米英」みたいにならにゃならんわけ?

どんな理由があっても侵攻は許されないって誰かいってたけどさ。
じゃあ湾岸戦争はどうなの?
イラク侵攻でだれかおなじこといった?

あのときどんだけ、罪もない子どもたちが死んだと思ってんの?

親父ブッシュのウソっぱち少女「ナイラ」や、子ブッシュの大量破壊兵器に簡単にダマされちゃってさ。
んなもんホントはなかったやん。

煽るだけ煽っといて。
もうすっかり忘れちゃいました、ってか?

 


2013年まで平和だったのはあたりまえ。
当時はドネツク出身の親ロシア派、ヤヌコーヴィチ政権だ。

問題はユーロマイダン革命でヤヌコーヴィチ政権が崩壊してからどうなったかでしょ。
2014年2月22日からどうなったかだよね。


というわけで、僕なりのウクライナカレンダー第二章。

今回は主に、先月22日(日本時間)にプーチンがドネツクの独立を承認したちょうど8年前。
2014年の2月22日から、ウクライナがどういう状況になったかって話だ。

その前に、よかったらこちらの記事に目を通してみてほしい。
 👉 https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202103130000/

去年の3月13日すでに、「バイデン政権はウクライナでも戦争を始める構え」だと予告している。
まあ、バイデンが大統領選に勝利した時点で、ウクライナがヤバいと思ってたジャーナリストは少なからずいたと思うけどね。

このブログ主さんがどういう方か存じ上げないので、その他の記事を読まれる場合は自己責任でお願いします。
が、ユーロマイダンのことに関しては参考までに一読していただけたらと思う。

あ、僕はけっして陰謀論者ではないので、その辺はぜったい間違えないでくださいね。
そのテのコメントいただいても無視しますんで。


さて、2014年2月22日。
親ロシア派のヤヌコーヴィチ政権の崩壊は、プーチンがソチ冬季五輪の閉会式に出るためモスクワを留守にしてた間に起きた。

2008年8月8日の北京五輪開会式に出席するため、プーチンが北京に行ってる間に起きた、グルジア(ジョージア)の南オセチア侵攻とおなじパターン。

ウラでNATOが関与してるのはグルジアもウクライナもおなじ。
とうぜんプーチンの脳裏には、当時の苦い記憶がよみがえったろう。

というか、情報はとっくにキャッチしてたのかもしれないけどね。
その後のクリミアへの対応がじつに素早かったからだ。
23日にはもうロシア軍の部隊が秘密裏に入っていた。

クリミアにはロシア黒海艦隊の海軍基地があり、安全保障上けっして手放せない地域。
またロシア系ウクライナ人が多く、1998年には自治共和国となっていた。

前回お伝えしたように、2014年2月23日に成立した親EU派の暫定政権に対し、ドネツクやルガンスクではロシア系市民が州議会を占拠。
独立を宣言って流れになったわけだけど。

クリミアでも、新政権に従うと発表した自治共和国首相に対し、支持派と反対派の間で衝突が起きた。
これに乗じて27日には、ロシア軍部隊が最高議会と首相府を占拠。
首相を交代させている。

新しい首相はロシアに治安維持を要請。
これに応じるカタチでプーチンは3月1日にロシア軍を正式に進攻させ、3月11日にクリミア最高議会が独立宣言を可決。
3月18日にクリミアはロシアに併合された。

という流れ。


クリミアがスムーズにいったのは、マイダン革命を過激化させたウクライナ民族主義の極右集団「右派セクター」が早々に非介入を表明したから、って部分もあるかもしれない。

それはウラを返せばNATO側が、クリミアは仕方ないなって判断したってことでもある。

だがおなじく黒海に面した港湾都市オデッサはちがった。

映画好きの方は、『戦艦ポヨムキン』のオデッサの階段をご存じだと思う。
モンタージュ理論を確立したエイゼンシュタインの1925年のサイレント映画だ。

オデッサの虐殺は旧ロシア帝国のコサック兵によるものだが、2014年5月2日のオデッサの惨劇は、ウクライナの「右派セクター」が引き起こしたもの。

オデッサはもともとロシア人とユダヤ人が人口の7割を占めていたが、第二次世界大戦後にユダヤ人は激減し、いまでは6割がウクライナ人らしい。

オデッサでは革命新政権に対し、ロシア系市民とユダヤ系市民による反対運動が起きた。
なぜユダヤ系市民も反対したのかというと、マイダン革命を主導し、新政権の中枢に入り込んだ「右派セクター」が、「ネオナチ」だからだ。

惨劇の発端は、「右派セクター」をふくむ親EU派のデモと親ロシア派市民との衝突。
投石や火炎瓶で死傷者が続出。

親ロシア派市民は労働組合の建物に立てこもるのだが、「右派セクター」は逃げられないよう建物を取り囲んだあげくに火を放った。

46人が焼け死に、200人以上が負傷したという。

ネオナチは建物から逃げ出した人たちにも暴行を加えた。

これって、去年12月の大阪北新地ビル放火殺人事件を思い出さないだろうか。
ウクライナ侵攻の予告ともいえる事象だっただけに、シクミとしてはオデッサの惨劇のリメイク的な意味もあったのかもしれない。


この大量殺人事件に対し、ウクライナ新政府はろくに捜査をしなかった。
また欧米のマスコミも、ロシアが親ロシア派を支援しているとの非難に終始した。
そういうものだ。

ネオナチの右派セクターが、NATO軍の訓練を受けてるって話は、たぶんホントだろう。

今回プーチンがウクライナを「ネオナチ」呼ばわりしていることに、頭がおかしくなったんじゃない?と思う方も少なからずいるかもしれない。
ゼレンスキー大統領自身が、「自分はユダヤ系だ」って反論してるしね。

だが2014年以降、ウクライナ東部紛争の最前線でじっさいに活躍しているのは、「右派セクター」のアゾフ大隊である。
おそらくアメリカの資金援助を受けてると思う。

就任当初、ゼレンスキーは親ロシア派との和平に動いていたが、ネオナチの激しい反発と脅迫に屈し、アゾフを正式にウクライナ国軍に編入。
ネオナチの自警団「国家隊」も、内務省のもとに全国展開を果たしたようだ。

で、去年の12月。
ロシアとの緊張が高まる中、ゼレンスキーはアゾフ大隊の司令官コツユバイロに、「ウクライナの英雄」勲章を授与したわけ。

 ゼレンスキー・コツユバイロ ウクライナの英雄賞授与

たしかTBSの報道特集だったかな。
こいつが、「ロシア語を話す(ドネツクとルガンスクの)子どもらの骨を、ペットのオオカミに食べさせてる」って豪語してたのを、僕も見た。

そういうヤツが、ウクライナの国家的英雄なわけ。
どう思う?

プーチンがウクライナを「ネオナチ」呼ばわりするのは当然だし、東部のみならず全面侵攻なんて愚策に出たウラには、中途半端で終わらせたら、国民の反ロシア感情をエサに、ウクライナにネオナチ政権が誕生するって危惧があったのかもしれないね。

いやほんとそれだけ強力なんだよ。
2014年のユーロマイダン以降の「右派セクター」は。
自国の大統領だって、平気で殺しかねない。

ユダヤ人のゼレンスキーだって、Wスタンダードといわれようが、身の危険を感じたからこそネオナチ側に方向転換したんだと思う。


2014年4月17日、ウクライナ問題の解決策を話し合うため、アメリカ・ロシア・EU・ウクライナの4者協議が開かれた。

その席でアメリカのケリー国務長官は、親ロシア派勢力のリーダーのとあるビラを示し、21世紀とは思えない反ユダヤ主義者だとロシア側を糾弾した。

でもそれって、フォトショップで加工されたニセモノだったんだよね。

あの国がよくやる手だ。
残虐なネオナチはおまえのトコだろってわけ。

心にやましいコトがあるやつが、よく使う手でもあるよね。

当時のアメリカはオバマ政権。
「核なき世界」宣言でノーベル平和賞を受賞しながら、平気でイランの原発に核爆発を起こしかねないサイバー攻撃をやった大統領だ。

その副大統領が、バイデン。

ウクライナ政策を担当したバイデンが、ユーロマイダン革命にどの程度かかわったのかはよくわからない。

ただロシア派のヤヌコーヴィチ政権崩壊後。

まだ各地で衝突が起き、多くの市民が死傷している時期。
4者協議で解決策が話し合われ、オデッサの惨劇が起きる直前の2014年4月。

さっそく次男のハンター・バイデンが、ウクライナ最大手の天然ガス会社の取締役に就任している。

これどう考えたって、おかしいよね。


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2022.03.14 / Top↑
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