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この記事のみを表示するアメノミヲヤ(1)

神さま案内板「ア行」


天御祖神

天地創造神。
宇宙のすべての魂の根源。

『日本書紀』では、
>ときに天地(あめつち)の中にひとつの物なれり。かたち葦芽(あしかび)のごとし。
 すなわち神となれる。 国常立尊(くにとこたちのみこと)と申す。

『古事記』では、
>天地はじめてひらけしとき、高天原に成れる神の名は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

それぞれ国常立尊と天御中主神をはじめの神としていて、「天地いまだわかれず、陰陽(めを)わかれざりしとき」の神的存在については言及していない。

つまり日本の神話には、聖書のエホバのような天地創造神はいない。
ということになる。

聖書を教典とする唯一絶対神信仰とはちがって、日本は多神教。
日本書紀の冒頭の部分、「渾沌(まろか)れたること鶏子のごとく」も、多神教の宇宙卵型神話に分類することができる。
原初の宇宙は卵だったとする考え方だ。

近代文明をリードしてきた先進国はおおかたキリスト教国なので、僕らにとっても多神教より唯一神の方がなじみが深い。
多神教=未開。唯一神=文明。
どこかにそんなゆがんだものの見方がしみついちゃっている。

科学だって、唯一神信仰の思考パターンを受けついでいる。

だがもともと人類は多神教で、紀元前6世紀に捕囚となった一民族が、民族のアイデンティティを守るために編み出したのが、唯一神という特殊な信仰形態。

虐げられた彼らは、自分たちは神によって苦難の道を歩かされているのだと考えた。
それはこの世界をつくった唯一絶対の神であり、いずれ世界にはその裁きの時が訪れ、われらは神が遣わしたメシア(救世主)によって約束の地へと導かれ、救われるのだと。

その異常な信仰パターンが、のちにキリストの十字架のおかげで世界を席巻した。
局所的かつ排他的なカルト宗教が、超メジャーになっちゃったようなものだ。

20世紀の半ば、国際社会が地球環境問題に目を向けるきっかけとなった理論がキリスト教圏から発表され、多神教の母神の名をとって「ガイア理論」と名づけられた。
これは興味深い。

唯一神では地球環境は救えない。
そう宣言したようなものだからだ。

いったいほんとはどっちが未開なんだろうね。

ところで、多神教には天地創造神はいないのかというと、もちろんそんなことはない。
唯一神みたいに、いちいちしゃしゃり出てこないだけ。

多神教では、天地創造神は絶対神ではない。
時代やニーズの変化にともなって、主神だって変わってゆく。

そういった意味では、古事記や日本書紀にないからといって日本に天地創造神は存在しないと断定することはできないと思う。

たとえば平安中期の延喜式に記されたいわゆる式内社には、初発(はじめ)の神、天御中主神を祀る神社でさえいっさい存在しない。
必要とされなかったからだろう。

でも僕らはアメノミナカヌシという神を知っている。
古事記や日本書紀の一書に登場するからだ。

もしさらに古い時代の歴史書。たとえば『天皇記』や『国記』が現存していれば、もしかしたらそこには天地創造神にかかわる記述がまだのこされていたかもしれない。

律令国家建設にあたって、大和朝廷は太陽神アマテラスを高天原のトップに位置づけ、神話を再編している。
天地創造のニュアンスは、アマテラスの親神であるイザナギとイザナミに与えておけば、それで事足りた。
さらに古い時代の神々に言及するメリットはあまりない。
稲作以前の神は重要ではなかったのだ。

くりかえすけど、日本書紀と古事記が日本の神話のすべてってわけじゃない。

16世紀に日本を訪れた宣教師のひとりは、「(宇宙)卵が風で破られて天と地になった」という日本の創世神話を本国に伝えている。

そういう意味でじつに興味をそそられるのが、『ホツマツタヱ』に語られる天地創造神だ。

アメノミヲヤ、という神である...。


                                            2019.2.26
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テーマ:神話と事象
ジャンル:学問・文化・芸術

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