人生というのは、なにがどこでどうなるかわからない。
フツーの生活をしてたのに、ある日とつぜん全国行脚の旅に出る人もいる。
僕の友人にも、そういう人がいる。
直接会ったのは彼女の長い旅の合間に、二度きりだけども。
彼女が千葉に来たのは、ちょうど僕が地元の蘇我比咩といろいろあった時期で。
彼女は僕にそのメッセージを伝えてくれた。
二度目は千葉神社の神に、ご用があったみたいだ。
彼女がどことつながってるのか、正確にはわからない。
示されるがままに、示された場所に移動する。
そんな、はたから見れば、あてどもない旅。
ただ僕から見てその旅は、まちがいなく「鎮めの旅」だ。
ここ数年は疎遠になってるけど、ああいまもどこかで鎮めの旅つづけてんだろうなって思うことが、ブログを書く力添えにもなっている。
その彼女が音信不通だと、支援されてる方から先月連絡がきた。
初天神の1月25日のメールが最後で、1月30日に富士河口湖町の宿を出たあと、いまも行方がわからないそうだ。
音信不通が彼女の意志によるものなのか、それとも、考えたくはないが彼女の身になにかあったのか。
目的地のある旅行ではないので、探しようもない。
ただひたすら無事を祈るばかりだ。
それにしてもなぜこの時期に。
と、思ってしまう。
いまこそさらなる「鎮め」が必要なのに。
それとも、だからこそなのか....。
エ〇〇さん。
もしこの文章を読んでくださってたら、ぜひご連絡ください。
携帯番号もメルアドも変わってないので、よろしくお願いします。
コメントでもかまいません。
きっと。お待ちしていますね。
2023.03.07 / Top↑
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