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 奇跡の漁船


イザナミの母なる熊野のキーワードのひとつに、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」というのがある。

核の補陀落渡海。
常世信仰とともに、南海トラフ巨大地震につながるワードとして、『神々が動いている』のころからたびたび書いてきたので、憶えてる方もいるかもしれない。

中世の特殊な信仰形態で、渡海船に乗って南方の観音浄土=補陀落浄土を目ざすというもの。

いわば、即身成仏の海バージョン。

熊野那智大社の史料によれば、渡海船は長さ6メートルというから、写真の漂流船とおなじくらい。

この上に帆があって、三角小屋があって、四方を鳥居が囲んでるカンジ。

渡海上人(補陀洛山寺の住職)が小屋に入ると、扉は外から固く釘で打ちつけられ、沖合まで曳航されたのちに綱を切られ、死出の旅路についた。

なかには運わるく(?)、生きたまま琉球に漂着した渡海僧もいたようだ。


高知県の室戸岬と足摺岬もまた、補陀落渡海の出航ポイントだった。

「補陀落や 岸に寄せ来る 白波の 返すがへすも 誓い頼まん」

高知県須崎市の古刹、観音寺のご詠歌である。

その須崎沖で、5月27日に高知県警の警備艇が漂流船を発見。

それが上の写真。「奇跡の漁船」だと話題になっている。

じつはこの船、東日本大震災の津波で流された宮城県石巻市の「日進丸」なんだそうだ。。

どこをどう漂ったのか、震災からちょうど3000日目。

ぼろぼろになりながらもついに、日本列島の沿岸に還ってきたわけ。


「3000」といえば、仏教の「三千世界」だ。

やはり補陀落の事象のにおいが漂う。

おまけに須崎市の観音寺のワードは、白鳳地震。


いきなりオワリかよで書いた、新天皇初の地方公務のトコで出てきた「天武天皇」の時代の南海トラフ巨大地震だ。

このとき、須崎沖にあった黒田郷というとても栄えてた大島が、大音響とともに沈んだという。

須崎市(賀茂神社)は人魚と八百比丘尼伝説で若狭とつながっている。

若狭湾にもあるよね。

大宝地震で凡海郷(おおしあまのさと)が沈んだって伝説が。

いまの冠島と沓島はその名残りだ。


もし「奇跡の漁船」が渡海船(常世船)を意味するなら、"ミロクの犠牲の十字"の北の常世(凡海郷+竜宮伝説)と、南の常世(補陀落+常世信仰+黄泉)が、大震災のワードで結びつくことになる。

南の常世=南海トラフだ。

日本書紀がしるす天武天皇の白鳳は、大地震が多発した時代だった。

つまり、『いきなりオワリかよ』の植樹祭の尾張旭市。

国家神道的には「おおっ!」ってカンジだった、新天皇と「天武天皇+大嘗祭」の取り合わせは。

じつは、新天皇と「天武天皇+大地震」の取り合わせだった。

ということになる。

それが、初の地方公務が、いきなりオワリだった真意。

ってことに...。


もちろん、奇跡の漁船が渡海船(常世船)を意味するってのはあくまで僕の見立てにすぎない。

もしかしたら、天皇即位の「奇跡の祝船(いわふね)」かもしれないじゃない。

そうであることを切に祈る。

・・・あんまりそうは見えないけども...。



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2019.06.05 / Top↑