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人生というのは、なにがどこでどうなるかわからない。

フツーの生活をしてたのに、ある日とつぜん全国行脚の旅に出る人もいる。

僕の友人にも、そういう人がいる。

直接会ったのは彼女の長い旅の合間に、二度きりだけども。


彼女が千葉に来たのは、ちょうど僕が地元の蘇我比咩といろいろあった時期で。

彼女は僕にそのメッセージを伝えてくれた。

二度目は千葉神社の神に、ご用があったみたいだ。


彼女がどことつながってるのか、正確にはわからない。

示されるがままに、示された場所に移動する。

そんな、はたから見れば、あてどもない旅。

ただ僕から見てその旅は、まちがいなく「鎮めの旅」だ。

ここ数年は疎遠になってるけど、ああいまもどこかで鎮めの旅つづけてんだろうなって思うことが、ブログを書く力添えにもなっている。


その彼女が音信不通だと、支援されてる方から先月連絡がきた。

初天神の1月25日のメールが最後で、1月30日に富士河口湖町の宿を出たあと、いまも行方がわからないそうだ。

音信不通が彼女の意志によるものなのか、それとも、考えたくはないが彼女の身になにかあったのか。

目的地のある旅行ではないので、探しようもない。

ただひたすら無事を祈るばかりだ。


それにしてもなぜこの時期に。

と、思ってしまう。

いまこそさらなる「鎮め」が必要なのに。

それとも、だからこそなのか....。


エ〇〇さん。

もしこの文章を読んでくださってたら、ぜひご連絡ください。

携帯番号もメルアドも変わってないので、よろしくお願いします。

コメントでもかまいません。

きっと。お待ちしていますね。


2023.03.07 / Top↑

8月21日、「ヒロシマの岸田」が新型コロナに感染のニュース。

今日8月21日は、中学時代からの親友Sの命日だ。

Sが亡くなったのは、22歳のとき。

海岸線を走る国道202号で台風の風に祓われ、事故って逝った。

スサノヲ(博多祇園)からナガサキに至る、国道202号「ナガサキへの道」。
2014年に志登神社火災が起きた、「水蛭子と火の禊の十字の道」だ。

そのせいか、8月21日って意外と気になる事象が起きる。

まあ、僕自身が「火の禊の十字」のオワリのシクミに取りこまれちゃってるから。
というのもあるんだろうけど。

2019年の事故では、イザナミ黄泉がえりの日7月22日に「777」の刻印受けてるし....。


憶えてるかな。
2016年のブラジル五輪閉会式の「安倍マリオ」。

僕すご~く危機感を感じて、安倍マリオの土管は『貞子』のコレだ!

安倍マリオの土管

ってボロクソに書いたけども。

閉会式がSの「オワリの日」、8月21日だったから。
というのもあるんだよね。


2020年には、「8月21日午前5時16分に関東で巨大地震」。
なんてネットで騒がれた。

巨大地震は来なかったけど。
7月2日の大火球につづいて、8月21日。
関東上空にふたたび火球が出現。

当日僕はこんなふうに書いてる。
 👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

>8月21日夜、関東上空にふたたび火球!
 前回は7月2日未明。

 翌7月3日から火球的すみやかに、
 イザナミの「令和2年7月豪雨」がはじまった。

 はたして今回は...?

そしたら7日後の8月28日に、安倍が首相を辞任した。
「88」の8年8ヶ月という歴代最長の在任期間に、終止符が打たれたわけ。


あくまで個人的な事象日だから信憑性に欠けるし、あまりおおっぴらには書いてこなかったんだけど。

じつは「(Sの)オワリの日=8月21日」って、「神が死んだ日=8月18日」とつながってんだよね。
どうも。

※)2013年8月18日に富士五湖で示された水死事象。
 「神」は9月9日に殺される「再会のイザナミ」を表していた。
 👉https://hayabusa3.5ch.net/test/read.cgi/news/1377488363?v=pc


今回、6月29日の大火球につづいて安倍元首相銃撃事件が起き。

オオナムチの事象日「8月18日=神が死んだ日」に、また関東上空で火球でしょ。

なんか2020年と似てるし、前記事には8月8日とのつながりしかふれなかったけど、じつは気になってたんだよね。

8月21日が....。


そうしたら、岸田が感染のニュース。

新型コロナは僕らを「火の禊の十字」にかける、崩壊神オオナムチとスクナヒコナの事象だし。

僕的にはどう考えたってつながるわけ。

神が死んだ日の火球と、友が死んだ日の岸田がだ。

このニュース、きっと安倍マリオの「貞子の土管」といっしょだよ。

個人的な事象日で申しわけないんだけども。
完全に、「オワリ(死)」に至る流れだ。

なんせ安倍の「滅び(亡国)」と菅の「バルス」のキーワードをまんま受け継ぐ、「ヒロシマの岸田」だしね。

もちろんその「オワリ」とは、Sが死んだ「ナガサキの道」。
「火の禊の十字」のことだ。


いまさ、2020年8月21日の火球のつぎの記事を読み返してたんだけど。

さすがに心臓がドキッとなったよ。

火球の翌22日の「24時間テレビ愛は地球を救う43」について書いた文章だ。
 👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-238.html

>個人的に「宣告」に値する事象が起き、
 さらなる段階に入ったと感じたその翌日。
 日本テレビの「24時間テレビ43」が放送された。

 はじまりは、「イッテQ!」。
 女芸人リモートリコーダー合奏。

 恒例のマラソンは、高橋尚子さんの「チームQ」。
 あきらかに「Q」が強調されている。

 「43のQ」だ。

 この「Q」ってさ、テレビのキュー出しのことじゃないの?
 
 つまり、黄泉のキュー!


ウソだろ!

って思ったよ。
鳥肌が立った。

だって今日8月21日の札幌競馬場のメイン。
GⅡの札幌記念。

三連単が「4-3-9」だったんだぜ!

もろ「黄泉のキュー!」じゃん。

しかも、Sの命日。

まんま「オワリ」のための....だ。




「追記」

いま記事UPしたあと知った。

岸田内閣の支持率。
過去最低の「36」%だって。

オワリの日に、「黄泉のQ」に「ミロク」やん!

もう早よ終わってくれっ。
岸田内閣!


2022.08.21 / Top↑

3月25日。
ロシア国防省が、ウクライナ侵攻作戦の第1弾完了を発表した。

とうぜんだけどこれ、3月16日の福島県沖震度6強の「第2弾」とつながっている。

去年2月の「第1弾」は、ロシアのウクライナ侵攻までがワンクールだと先日お伝えしたばかり。
 👉 福島県沖地震M7.4震度6強(1)

今回の発表はそれをウラづけるものだし、同時に「第2弾」のはじまりを告げるものだ。


3月25日は「バルス」天神道真公の命日祭(太宰府天満宮春季大祭)。

事象的には前段階のオワリの日。
そして、新たな段階のはじまりの日だ。

2018年にイザナミの「国生み神事」がはじまった「運命の日」も、3月25日。

去年、「水蛭子の聖火」リレーがフクシマからスタートしたのも、3月25日だった。

まだ実現してないけども、イザナミの水蛭子出産=ナガサキのはじまりだ。


ロシア国防省は、今後は東部ドンバス(ドネツク・ルガンスク)地域の完全解放に焦点をあてると表明。

ウラを返せば、全面侵攻はみごとに失敗しましたってこと。

僕は当初、ロシア軍のウクライナ包囲網は見せかけで、東部への電撃戦がメインだとばかり思ってた。

東部に機甲部隊を集中し、短期決戦で一気に制圧。
補給路と制空権を確保し完全占領下に置いたところで、ゼレンスキーに強圧的な要求を突きつけるんだろうなと。

そういう話は前にも書いたよね。

ところがぎっちょんちょん。
フタをあければプーチンは、北からは首都キエフを目指し。
南からはオデッサ上陸なんてありえない全面侵攻作戦をとった。

ロシアの主力はなんといっても陸軍。大戦車部隊。
ならば伸びきった兵站線がかっこうの餌食になることくらい、子どもだって知ってるだろうに。

なんでナチスドイツや日本陸軍や、桶狭間の今川義元みたいな愚を犯すかね。
プーチン、ボケたんじゃないの?
としかいいようがない。

で、ロシアにもウクライナ側にも本来出す必要のなかった多大な犠牲と莫大な損害を出しておきながら、第一段階は思惑どおりに完了。
これからは東部に集中する、だと?

アホか!

正直怒りが収まらないよ。


ロシア軍侵攻後のウクライナでは、聖母マリアのこんな画像が共有されている。

 ジャベリン

ウクライナの抵抗の象徴「ジャベリン」。
ウクライナの守護天使「聖ジャベリン」。

憶えてる方もいると思う。
「ジャベリン」については侵攻当初にお話しした。

2014年、親ロシア政権崩壊後、息子がウクライナ大手ガス会社の取締役になったバイデン(副大統領)が、ウクライナに配備しようとした歩兵携行型の対戦車ミサイルだ。

こんなもん配備したらプーチンが逆上すると、当時のオバマ大統領が計画を阻止したいわくつきの代物。

ロシア寄りだと国内で批判されたトランプは、批判逃れでウクライナへの配備を約束はしたが、そんなことしたらどうなるか見え見えだったので、口約束だけで実際には配備しなかった。

で、そのジャベリン180基を、バイデンは去年アメリカ・ウクライナ大規模軍事演習につづいて嬉々としてウクライナに配備したわけさ。
どうなるか見え見えなのにだ。

プーチンが10万規模のロシア軍をウクライナ国境に展開させたのはそのあと。

要するにこの聖母マリアの画像は、米国製兵器のCMってわけ。

日本でも拡散してるバカいるけどさ、「シクミ」は僕らに自立を求めてるってのに、そんなバカばっかりじゃこの国は一生自立できね~ゾ!


きのう3月25日は「第2弾」のはじまりの日。

事象的にはそういうことになる。

僕はきのう仕事で埼玉の「入魔(いるま)」に行ったわけだけど、準備のトラブルはあったが当日はすんなりいった。
地震も福島県沖震度4で済んで、ホッとしたのもつかの間。

家に帰ったらロシア国防省のニュース。
あきらかな「第2弾」のはじまり。

ショック!
ってわけ。

3月25日の「入魔」行きのことをあえて記事にしたのは、二・二六事件の日に決まったってのもあるけど、じつは去年も行ってんだよね。

それも「終いのみらいくん」でおなじみの、12月25日にだ。

12月25日につづいて、3月25日の「入魔」。
こういうブログを書く身としては、あきらかにフツーじゃないめぐりあわせ。

おまけに12月25日のときは、帰りに寄ったスーパーでほかの客とケンカになった。

たまにいない?
ぶつかるとわかってても自分の進路をぜったいにゆずらない、さもしい自己主張の持ち主って。
とくに若いやつに。

こっちは棚の商品に手を伸ばしてんのにぶつかってきやがって。
ムカついたんでとっさに足でひっかけてやったらケンカになった。

まあケンカ自体はどうでもいいことなんだが、そのとき僕の買い物かごに入ってたのが、正月用の榊。

店に入ってまず正月用の榊をカゴに入れ、つぎの商品を取りにいったらの出来事。
縁起でもないというか、どう考えたってヤバいメッセージだ。

で、最初に「ヤメテクダサイ」と止めにきたのが、パートのおばちゃん。
つぎに「ヤメテクダサイ」と割って入ってきたのが、30代くらいの店員の男性。
それでも「表に出ろ!」といってきかない相手に、「アナタモウヤメテクダサイ」と怒ったのが、20代くらいの男性客。

さすがにもうそのときには僕は半分笑ってたんだけど。
なんと止めに来た3人ともが、片言の日本語だった。

たぶん店の二人は東南アジア系(インド系マレーシア人みたいな)。
三人目の若い客は中国系かな。

けっこう利用するスーパーなんだけど、これまで日本人じゃない店員は見たことないし、とうぜんそのときもレジには日本人のおばちゃんやおねーちゃんたちがいて、日本人のおにーちゃんたちが品出しや棚の整理をしていた。

まあ僕が店員でも、面倒くさくてかかわらないと思うけどね。

事なかれ主義の日本人店員と、片言の日本語店員と客の正義感。もしくは責任感。
そのギャップが妙に新鮮で、可笑しかったという話。


たしかに相手はブラウンのボアパーカーに、脂肪体型。
目つきも見てくれも冬眠前のツキノワグマみたいなアブない奴だったし、クマといえばロシアだ。

とはいえ、とりあえずこの「終いのみらいくん」の日の出来事を、ロシアのウクライナ侵攻の予告だったなんていうつもりは毛頭ない。
もし今後、東南アジアや中国がからんでくるようなら、ちと話はちがってくるけども。

ただ事象的にどうしても気がかりだし、捨て置けないポイントが、やはり正月用の榊。

親父の件があって、正月用の縁起物がぜんぶ燃えた劒神社の火災=ミロクのオワリのシクミも起きた、その流れ。
大阪北新地ビル放火殺人事件まで起きた、「火の禊の十字」の流れだよ。

その十字を背負う日本武尊事象に取り込まれた僕としては、どうしたってタダごとではないわけさ。

なので、個人事象とはいえあえて3月25日の「入魔(いるま)」行きの話をしたし、念のためみなさんにも注意を促した。


で、その「入魔」行きと「バルス」天神の3月25日。

ミステリーエッグの第2の孵化(那須の殺生石)。
福島県沖震度6強の第2弾につづくカタチで。

ロシア国防省がウクライナ侵攻第1弾の完了を発表したわけだ。

これって僕個人にとっては確実に「第2弾のはじまり」を告げるメッセージだし、2018年とおなじ「運命の日」ってことだし、おそらく公の事象としても、おなじ意味を持つんだと思うよ。


2022.03.27 / Top↑

じつはこのシリーズ。
巫女の夢について書いた最初の記事番号は、「493」。
 👉 https://amatuchitome.blog.fc2.com/blog-entry-493.html

「シクミ」だ。

やれやれ。
すべてはそういうことなんだろう。

僕の首都圏脱出をトリガーに親父が倒れたのも。
運ばれた病院が八幡宮の事象域だった件も。

トカラ列島の悪石島震度5強と同時に親父の容態が急変し、火葬が「イザナミ+八幡宮」の茨城県南部震度4とリンクした偶然も。

クリソベリル」の夢も。
四十九日の法要が1月23日の「ひふみの日」になったのも。

イザナミのご神体山「飯盛山」に向かう「1月22日」に、イザナミ高天原の日向灘M6.6が起きたのも。

そして親父の死で長年の夢の謎が解けたって事実も。

すべては「493」の手のひらの孫悟空。

親父が「シクミ」に使われたように、僕もまた「火の禊の十字」を背負う日本武尊のオワリのシクミに取りこまれているのだから....。


学生時代に見た、黄金色(クリソ)のオーラと緑色(ベリル)の光跡で描かれた男装の巫女。

彼女はまちがいなく飯盛山のイザナミの使いだ。

男装だったのは、「父なる火の禊」を母なるイザナミがやるからだろう。

学生時代の夢が、30年以上も後の未来。
すなわち現在(いま)を伝える不条理。
またそう考えることの非合理性を指摘する方もいるかもしれない。

でも僕、まえに云ったことがある。
「シクミ」は、過去も現在も未来も、同時進行だって。

25年後のクーパー捜査官にローラが謎の答え(犯人の名まえ)をささやく。
この『ツインピークス』のクーパーのフシギな夢も、そういうことなんじゃないかな。

 

あちら側では時間って概念(縛り)は、さほど意味を持たないのだ。


あの巫女の男装はいまの「父なる火の禊」の流れ。
指さしたのは親父の死(眠り)。

伝えたかったのは「八幡」のキーワード。

すなわち、鉄と戦争のカルマの神。
イザナミとともにその清算に向かう神。

つまり現在の僕が日本武尊事象に取りこまれ、置かれてる状況そのものだということになる。

とくに重要なのが、「八幡」だよな。

僕はまったく気づいてなかったから。

宮崎八幡宮の氏子総代だった祖父。
宮崎八幡宮にうまれ、紅葉八幡宮に散った父。

おなじように、僕もまた「八幡」のストーリーに組みこまれていたことに。

高校時代に古代海洋民阿曇(安曇)族に異様に魅かれたのも、つまりはそういうことだったんだよな。

もともと海が好きで、歴史が好きで、だから古代海洋民に興味を持った。
自分は海神(綿津見)系だと思ってた。

でもその志向のバックにはしっかり親子三代八幡の流れがあったのだ。

夢の巫女はそれを教えてくれていた。
親父=八幡を見よ、と。

このままだとあなた、八幡神のカルマに表現される。

いいの?
「火の禊の十字」を背負わされるよ。

ってさ。


2022.02.08 / Top↑

神道では、亡くなった日から50日間を忌中とする。
魏志倭人伝にも記された古代の風習、「殯(もがり)」の名残りだ。

当時は遺体はすぐには埋葬されず、家族は長い期間を棺に入った故人とともに過ごしたという。
いまでいうお通夜である。

黄泉国でイザナギがのぞき見た腐乱したイザナミの姿は、殯の遺体をあらわしたものだと考えられる。

仏教でも、四十九日の法要までが忌中。
一周忌までが喪中とされる。

まあうちは浄土真宗なんで、基本的には忌中や喪中って概念自体が存在しないんだけどね。

とはいえ、神社参拝となると話はべつだ。
忌中の身で神社に行くのは完全にタブーである。

ではなぜ、親父の四十九日の前日、1月22日に飯盛神社に行ったのかというと。

まずひとつは、これが最後の機会になるかもしれないということ。

なんせイザナミ高天原の「創世期」に入っちゃったんでね。
このさきどこでどうなるかわからないし。
法要の翌日に千葉にもどるので、ゆっくり時間がとれるのは22日しかなかった。

もうひとつは、わが天命をすでにイザナミ高天原にあずけてあるから。

飯盛山はそのイザナミのご神体山。
僕の参拝への正否は、どういう裁定であれすべてをゆだねます。
ってカンジかな。

それに、もともとイザナミは黄泉津大神。
事象のモットーは「さかさま」である。

イザナミ+八幡の「逆国家鎮護」事象にしてもそう。
忌中参拝って「さかさま」な行動も、受け容れてもらえるはず。
そう考えた。

もちろんほかの神様だったらぜったいにNG。
とくにアジスキタカヒコネ(高鴨神社など)なんか怒りまくって、アメワカヒコの喪屋のようにぶっ壊されそうだ。

とはいってもね。
やはり死のケガレをまとってるわけだから、神社さんや参拝客には申しわけない。
できるだけ避けるように心がけ、わきの車道(あじさいの道)から登山道に入って一気に山頂を目指し、帰りに本社だけこそっと拝ませてもらうつもりだった。

一般の参拝とは、「さかさま」パターン。
というかフツーは山頂まで行かずに、イザナミの本社とイタケル(五十猛命)の中宮社を参っておわり。

僕自身これまで山頂に登ったことなかったし、正直たかが標高382.4mって甘く見てたと思う。


あ、まえもって云っとくけど、「山頂断念記」ってタイトルでもとくにスピリチュアルや事象的なことはなにもないので、その辺のトコ期待しないでくださいね。

飯盛山はこんなトコ。
って紹介文として読んでいただければと思います。


さて、福岡市西区の飯盛山へは、実家のバス停から15分くらいの田村三丁目で降りて20分ほど歩く。

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福岡市は「天神ビックバン」の中心街はもちろん。
西区やとなりの糸島市までどんどん宅地化されてすっかり変わってしまったけど、この辺りは時間が止まったようにむかしのままだ。

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ごらんの標識のとおり↓
周辺地域一帯は古代遺跡の宝庫。

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こんなカンジ。

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そこいらの畑には、フツーに弥生土器のかけらが散らばっている。

じつはうちの実家の近くにも弥生初期最大級の環濠集落や、甕棺墓の遺跡があって、日本最古の「早良国」の一部だったらしい。
博多区の板付遺跡の方が有名だけどね。

その板付遺跡をふくむ「奴国」(漢委奴国王の金印で有名)とは国境を接してたはずなんだが、なぜか魏志倭人伝には登場しない。
倭国大乱で王族が滅びちゃったのかもな。

もしかしたら福岡市の西側に式内社がないのとも、どっかでつながってんのかもしれないな。

福岡市の早良区と西区は旧早良郡。
飯盛山の周辺は、平安時代の「和名類聚抄」では早良郡平群郷。

平群(へぐり)氏は古墳時代に活躍した軍事氏族で、武内宿禰(たけうちのすくね)の子孫。
いまの奈良県生駒郡平群町を本拠とした。

福岡市東区志賀島の阿曇(あずみ)氏とおなじく、応神王朝(八幡神)で中央政界入りしてるので、もしかしたら初代の平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)は飯盛山を見て育ったのかも?

本社の右神はなぜかその応神天皇(品陀和気命)だしね。

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さて、あえて人目を避け、参道入口の鳥居に到着。
ほとんどは飯盛神社本社に隣接する駐車場から本殿に向かうので、あんのじょう誰もいなかった。

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流鏑馬神事の通りを、本社を横目にあじさいの道へ。

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もう節分祭仕様になってたな。

鳥居には大きな鬼の面。
本殿の前には大きなお多福のお面。

鬼の顔見てもわかるように、飯盛神社さんは庶民ウケねらい。
黄泉津大神が主祭神でも、そういう重々しさや厳かさとは無縁。

もちろん球磨村の岩戸熊野坐神社のようなおどろおどろしさもない。

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あじさいの道(車道)をひとり歩く。

けっこうな坂道で、くねくねして思ったより距離がある。

バス停からかれこれ1時間以上は歩きつづけだし、運動不足だし。
だんだん息が上がってきたところで、ようやく山頂が見えてきた。

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車道から山道へ。

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問題はここ↓から。

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急に勾配が変わり、足場もおぼつかなくなってきた。

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それでも、ついたぜい肉にムチ打って汗だくで登ってたんだが。
おどろいたよ。
まさかの渋滞発生だ。

もう正月じゃないし、土曜日だから大丈夫だろうと思ってたら、願いを叶えたい家族連れやカップルたちにくわえ、完全フル装備の山歩き高齢者の団体さんまでご登場。

福島第一原発ばりの想定外。

神社に参ったあと山頂に登れば願いが叶う。
それが飯盛神社のウリでもある。

もちろん僕は願いを叶えようと登ったわけじゃない。
イザナミ高天原と神々を讃えるつもりだった。

だけど、あわよくば山頂にひとりきりの図を想像してた僕としては、カンペキ目論見が外れた。

しかも誰もマスクなんかしてやしない。
そりゃ運動してんだもんな。
二重マスクにビジネスシューズなんて場違いなおバカは僕だけ。

完全に甘く見てたよ。

休憩なしで一気にってのが祟ってだんだん足腰にきてるし。
がんばって山頂まで行っても、そこがどういう状況か容易に想像がつく。

まさに「密」だ。

イザナミの黄泉力に利用され、
ご神体山のてっぺんにお集りのみなさまには死のケガレを。
お返しはオミクロン株で。
なんて話になったらシャレになんないもんな。

というわけで、途中で山頂は断念。
じかに飯盛山にふれたことで意義はあった。
ということにした。

のでした。
チャンチャン (^ ^;♪


山道から車道にもどると、なぜかひとりのおじさんが立っていた。

教えられた方向に行くと舗装が途切れ、ふたたび山道になった。
どうやら「ラクして帰るな」ってお告げらしい。

あきらめて、足をすべらせながら岩場の小径を降りてゆくと、中宮社のわきに出た。

その場で五十猛命の「再生の木」たらんことを祈り、本社でイザナミ高天原と神々を讃えて飯盛山をあとにした。


帰りには、国史跡の吉武高木遺跡に寄ってみた。
「最古の王墓」と「最古の三種の神器」が発掘され、わが国最初の王国「早良国」の根拠となった遺跡だ。

現在は埋め戻されて、やよいの風公園になっている。

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吉武高木遺跡は早良王国の中心地。
弥生だけでなく、旧石器時代からの複合遺跡。

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はるか縄文のむかし。
さらには旧石器の太古の時代から、飯盛山は人々の暮らしを見守りつづけてきたのだと思うと、なんだか胸が熱くなった。

そしておそらくその1万何千年ものあいだ。
飯盛山は人々の信仰の対象でありつづけてきたのだろう。

イザナミの飯盛山って、そういう山だ。

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室見川をはさんで油山側には四箇田団地。

東京の高島平みたいなこの高層団地の地下にも、大規模な弥生遺跡が眠っている....。


ところで、当ブログのタイトル「ねことそらのあひだ」は、地と天のあいだを意味する。

トルコで発掘された最古の大地母神像は、ネコ科の野獣を従えていた。
なので、地=ねこ。
天=そら。

この国の大地母神はイザナミ。
いまや高天原までイザナミだけどね。

つまりサブタイトルは、「イザナミとイザナミのあひだ」。
ってことになるわけだ(苦笑)。

で、1月22日1:08(煩悩かよ)の日向灘M6.6震度5強だけども。

震源にもっとも近いのは、大分県佐伯市の深島。

住民の7倍。
100匹をこえるネコがいる、「猫の島」として知られてるそうだ。

夫婦の「22」の年。
大地母神のネコ科のトラ年だけに、ことしはやはり狙われてると考えといた方がよさそうだ。

そういう震源だと思う。

やっぱにゃんこの日、2月22日は要注意かもね。


2022.01.27 / Top↑