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3月12日、皇居で「退位奉告の儀」が行われ、天皇陛下の一連の退位儀式がはじまった。
おもな日程は以下のとおり。

 3月12日(火)・・・退位奉告の儀
    26日(火)・・・初代神武天皇陵ご参拝
 4月18日(木)・・・伊勢神宮ご参拝
    23日(火)・・・昭和天皇陵ご参拝
    30日(火)・・・退位礼正殿の儀

どういうわけだか火曜が多い。
火曜と火曜で、炎。
木曜の伊勢をはさんで、炎+木+炎って。まるで火祭り。

つぎの天皇の時代=サイクル25のために、弱体化した太陽(伊勢)に火をつけようっていうのか。
それとも"父なる火の禊"の暗示なのか...。

というわけで今回の神さま案内板は皇室にちなんで、その守護神として神祇官西院の八神殿に祀られていた宮中八神についてちとふれてみたいと思う。
現在は天神地祇とともに皇居の神殿に祀られているそうだ。

ちなみに、1月3日の熊本県和水町震度6弱=「いだてん」地震の事象源である波比岐(はひき)神は、大嘗祭の八神殿に祀られた神で、神祇官西院にも坐摩巫(いかすりのかんなぎ)によって祀られてたけども、筆頭の大御巫(おおみかんなぎ)が祀った宮中八神とはまたべつの神さまス。
ちとややこしいけど。

 ☞ 『東海大の初優勝と和水町震度6弱

★八神殿

第一殿 神産日神(神皇産霊神)    かんみむすびのかみ
第二殿 高御産日神(高皇産霊神)  たかみむすびのかみ
第三殿 玉積産日神(魂留産霊 )   たまつめむすびのかみ
第四殿 生産日神(生産霊 )      いくむすびのかみ
第五殿 足産日神(足産霊 )      たるむすびのかみ
第六殿 大宮売神             おおみやのめのかみ
第七殿 御食津神(御膳神)       みけつかみ
第八殿 事代主神             ことしろぬしのかみ

この八柱の神たちを最初に祀ったのは、今日天皇陛下が御陵を参拝する初代の神武天皇。
(今上天皇は第125代天皇)
日向から大和に東征(東遷)したのち、橿原宮にて即位した(2月11日)、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)だ。

1stステージの東日本大震災は、神武事象の流れで神武天皇が崩御した3月11日に発生した。
東京オリムピック大河ドラマ『いだてん』の主人公、金栗四三の金栗姓の由来である金凝神社も神武天皇につながるし、最近「神武きてるよな」と思うことがすくなからずある。
ニュージーランドのクライストチャーチとともに、2011年の再来の流れでなければいいんだけど。

ともかくここではその神武天皇をポイントにして、それぞれの神について書いてみたい。
あくまで僕なりの解釈なので、よろしく。

まず、第一殿の神産日神と第二殿の高御産日神。
この二神は、一般には天御中主神とあわせて「造化三神」と呼ばれる。
天地(あめつち)初発(はじめ)のときに、高天原にあらわれた神たちだ。

古事記では、造化三神のあとに二柱の神があらわれ、つぎに国常立尊(くにとこたち)が登場する。
国祖神の国常立尊からイザナギとイザナミまでを、神世七代(かみよななだい)という。

太陽神である天照大神は八代目。
天照大神から三種の神器を授かった天孫降臨神話の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は第十代。
神武天皇は瓊瓊杵尊のひ孫で、十三代にあたる。

さて、天地初発にあらわれ、身を隠したはずの神産日神と高御産日神だが、不思議なことにずっとあとの天照大神の時代にも高天原の中核として登場する。
おまけに子どもまでつくっている。

たとえばオオナムチの相棒、少彦名神(すくなひこな)は神産日神の子。
第九代天忍穂耳尊(あめのおしほみみ)の妻は、高御産日神の娘。
葦原中国(あしはらなかつくに)平定=出雲国ゆずり神話でも、天照大神のバックにいた黒幕は高御産日神(たかみむすび)だ。
その娘として、三穂津姫(美保神社)まで登場する。

どう見たって矛盾だ。

個人的にはこの二神は、イザナギ・イザナミから天照大神の時代に高天原で天御中主神を祀っていた、つまり祭政の中心にあった神たちだと考えている。
もし造化三神ならば、天御中主神が八神殿に祀られてないのはいかにもおかしい。
そうでないのは古事記の造化三神がまちがった伝承か、もしくは八神殿の神産日神と高御産日神が神名はおなじでも別個の存在だからだろう。

天照大神の「三種の神器」の正統継承者として新しい国家を建設する神武天皇が、その守護神としてはるかな天地開闢の神々を必要とするだろうか。
ユダヤ教やキリスト教みたいな一神教じゃないんだからさ。

僕ならもっと身近な、天照大神をバックアップした高天原の重鎮たちに、見守っていてほしいと思うよな。

じつは六代オモタル・カシコネと、七代イザナギ・イザナミとのあいだにはある種の隔絶がある。
イザナギとイザナミの国生みは列島の創造神話ではなく、新しい時代への幕開けだったのではないかと僕は思う。
すなわち縄文から弥生時代への移行期だ。

(水田)稲作が導入されたのもこの時期だろう。

記紀神話を読むと、高天原が最初は稲作を知らなかったことがうかがえる。
天照大神が派遣した月読尊の保食神(うけもち)殺しも、稲作拡張政策の過程で起きた悲劇だ。

天が稲作を導入するなんて、ハリウッド映画的な「神」の概念に馴れた方にとっては違和感をおぼえる話かもしれない。
でも、日本の神話というのはあくまで祖先の歴史であり、ストーリーだ。
縄文以来、日本人にとって神とはまず祖先だってことを憶えといてほしい。
もちろん自然神や精霊系の神もいるけども。

で、その移行期に高天原でイニシアチブをとっていたのが、神産日神と高御産日神。
ということになる。

うまい言葉が見つからないけど、八神殿の神産日神と高御産日神はいわば、天地初発(あめつちはじめ)ではなく、弥生初発のときの創世神なのだ。

第六殿の大宮売神は、伏見稲荷では大宮能売として知られる。
宮中を道徳、精神面から守護し、君臣の心を和する大切な女神だ。
『古語拾遺』は天照大神に仕えたとしているから、天照大神の東の局だったオオミヤヒメのことだろう。
第一殿の神産日神(かんみむすび)の娘である。

第七殿の御食津神は御膳の神。
一般には宇迦之御魂神(うかのみたま)とされるけど、ならあえて御食津神にする必要があったのかどうか。
前者は倉稲魂命とも書くように穀物神。人々の生活(衣食)を守る神。
後者は御膳、食事の神だ。
天皇の料理番的な。

日本武尊の父、景行天皇にとっての御食津神=磐鹿六雁命(いわかむつかり)みたいな存在が、神武天皇にもいたのだろうか。
それとも、御食都神ともいわれる天太玉命(安房神社)?
まさかその子孫で饒速日命(にぎはやひ)の后だった、御炊屋姫(みかしやひめ)ってのはありえないか。炊屋は炊事場のことだけど、あの長髄彦の妹だしね。

名まえ的には、神産巣日神の子の天御食持命(あめのみけもちのみこと)って線もありなのかな?
ていうかようするに、わからんとです。 m( __ __ ;)m

第八殿の事代主神は、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬし)のこと。
神武天皇はこの八重事代主に「ヱミス神」の称え名を贈ったという。

エビス信仰には蛭子信仰と事代主信仰のふた通りあるけど、事代主恵比須はこの積羽八重事代主か、その祖神でオオナムチの子の事代主(美保神社)のことだ。
こちらの事代主も、一般に八重事代主とも称されるのでややこしんだけど。

積羽八重事代主は神武天皇の皇后、蹈鞴五十鈴媛(たたらいすずひめ)の父親でもある。
皇室の守護神に出雲系の事代主神が列せられてることを不思議に思う方もいるかもしれないけども、日向王朝の神武が饒速日命の飛鳥王朝を倒し、新国家を建設するには、旧出雲勢力のバックアップがどうしても不可欠だったと考えてもらえばいいかもしれない。
蹈鞴五十鈴媛は、ある種の政略結婚だ。

さて、第三殿から第五殿には、いっそう不可解な神たちがならんでいる。
玉積産日(魂留産霊 )に、生産日(いくむすび)に、足産日(たるむすび)といった神たちだ。

でもこちらも神武天皇を通してフォーカスすれば、その正体が垣間見える。

神武天皇といえば東征の相手は飛鳥の饒速日命(にぎはやひ)。
饒速日命といえば、十種の神宝(とくさのかんだから)だからだ。

そのうちの四つが「玉」の宝で、それぞれ死返玉(まかるかへしのたま)、道(霊)返玉(ちがえしのたま)。そして生玉(いくたま)と、足玉(たるたま)と呼ばれる。
僕らの霊魂と肉体と、それをむすぶ魂の緒(たまのを)にかかわる神宝である。

いまでは失われちゃってるけどね。

玉積産日(魂留産霊 )が死返玉と道返玉。
生産日と足産日が生玉と足玉に対応すると考えれば、けっこうしっくりくるんじゃなかろうか。

饒速日命の子の宇摩志麻治命(うましまち)は、戦いに敗れたあと十種の神宝を神武に捧げ、大嘗祭ではその秘法で神武天皇と皇后の心身の安鎮を祈ったという。
それが新嘗祭の前日、11月22日に皇居や石上神宮や各地の神社でいとなまれる鎮魂祭の起源だ。

皇室の守護神として、十種の神宝のエッセンスが八神殿に祀られたとしてもフシギじゃない。

宇摩志麻治(可美真手)はのちに神武天皇に重用され、その子孫が物部氏となる。
物部氏の石上神宮の布留御魂大神は、十種の神宝を神格化した神ともされる。

「生」と「足」のワードは、神武天皇の石山碕祭祀(生國魂神社)の生島神と足島神にもつながる。
こちらは皇宮の四方の御垣を守護する神だ。
国土の守り神でもある(生島足島神社)。

死返玉の「死=まかる」は、勾玉(曲玉)の曲がると語源はおなじ。
「まかり」という語は環(輪)やめぐり、回帰を意味する。
勾玉は、まかる玉。
それは縄文以来の「めぐり(循環)」の自然観、死生観のあらわれでもある。

勾玉というと弥生時代を想像するかもしれない。
でもじつは縄文時代からの習俗で、爆発的ブームを引き起こしたのが弥生時代だったってこと。
食生活が変われば文化も変わる。
とうぜん祭祀のあり方も変わる。
そんななか、人々は失ってはならない、もしくは失われそうな祖先の大切な価値観、アイデンティティをシンボルに求めたがるもの。
単に権力の象徴とか、そいういうレベルの話じゃないと思うんだよね。

そして道返しといえば、道返大神はイザナギが黄泉比良坂をふさいだ千曳の岩だ。
黄泉の入口をふさぐ=魂留。
霊魂を(肉体に)とどめる、鎮めること。

千曳の岩=道返大神によってイザナミは黄泉国に封じられたわけなんだけど、それは同時に過去との訣別。二度ともどれない縄文との訣別でもあったんじゃないかと僕は思う。
縄文という時代は、黄泉に封じられたわけだ。

とはいえ、前述のとおり縄文の世界観は勾玉をシンボルとして弥生にも受け継がれた。
そしてそのエッセンスは宮中八神の神として、現代も活きつづけている。

縄文時代には、子宮に見立てた土器に死んだ子を入れ、家の入口に埋葬する生み直しの再生信仰があった。
母親は「もう一度生まれておいで」って願いをこめて、そこをまたいでいたんだろう。

自然界と精神世界。あの世とこの世をめぐる環(まかり)...。

今回のシクミにおける黄泉の大地母神イザナミの国生みもまた「生み直し」であるということを、僕らは心のどこかにとどめておくべきかもしれない。


                                        2019.3.26
2019.05.09 / Top↑