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奥津彦(おきつひこ)は竈神(かまどかみ)。

興津彦とも、奥津日子とも書きます。

大歳倉稲魂命(おおとしくらむすび)の子で、素戔嗚尊(すさのを)の孫。

たぶん祖父の「火の気性」を受けついだのかな。

妻と諍いになり、心を映す「真経津(まふつ)の鏡」に身を映したところ、煮立って吹きこぼれた竈だったとか。

「竈神」はこれに由来します。


出雲大社の平成の大遷宮では、2013年9月19日に素鵞社の仮殿遷座祭がいとなまれ、素戔嗚尊の御魂が釜社に遷されました。

釜社の祭神は稲荷社とおなじ宇迦之御魂(うかのみたま)ですが、個人的には奥津彦なんじゃないかな、と。

父親の大歳倉稲魂命(おおとしくらむすび)も、一般には稲荷と同一視されちゃってますしね。

ともかく、この素鵞社→ 釜社の仮殿遷座と「鬼滅の刃」のムーブメントはつながってる気がします。

ちなみに素鵞社の本殿遷座祭は2015年7月20日。

週刊少年ジャンプで「鬼滅の刃」の連載がはじまったのは、翌2016年2月15日発売の11号からです。


奥津彦といえばやはり、「火水の祓(ひみつのはらひ)」。

火と水は、竈門炭治郎の「ヒノカミ神楽」と「水の呼吸」に通じます。

また、現在では混同されて祀られてますが、奥津彦は竈神といっても炊事や台所の神ではありません。

人々の邪心を祓い、「すずかの道」を伝えた神です。

「すずか」は伊勢神宮の近くに地名がありますよね、鈴鹿って。

鈴をつけた鹿を想像しちゃいますが、鈴の音が魔を祓うように、「すずか」とは清らかさ。

まが(曲・禍)なきまっすぐな心を意味します。

「すずかの道」とは、
人が人として生きるまっすぐな道。
人が人として生まれかわる道のこと。


こう言い換えてもいいです。

人が鬼ではなく、人として生きる道。
人が鬼ではなく、人として生まれかわる道。


生まれかわりは仏教ではなく、縄文のむかしからこの国に根ざしていた死生観。

「鬼滅の刃」では、炭治郎が斬った鬼は人であったころの記憶を取りもどします。

最期に人として生まれかわる余韻をのこします。

まさに炭治郎=奥津彦!

火水の祓と、すずかの道。


奥津彦は奥津姫とセットで祀られます。

奥津彦と奥津姫は、兄と妹。

奥津姫についての話は、残念ながら伝わってません。

でもそこがまた炭治郎の妹、禰豆子っぽいなって思います。

もしかしたら兄とともに「すずかの道」を旅したのではないか。

そんな想像を、かき立てられます。


2020.11.27 / Top↑

16世紀の宣教師が伝えた日本の創世神話のワード、風と卵.。
風は息吹。卵は宇宙卵。

『ホツマツタヱ』は、この世界はアメノミヲヤの息からはじまったとする。
その息吹によって混沌に回転が生じ、回転によってウツホ(原初宇宙)がうまれ、拡がっていった。

ウツホとは壺や子宮のような空間のこと。
一種の宇宙卵型神話だ。


 ウツホ

高速回転するウツホ(宇宙卵)の中心はやがて御柱(みはしら)となり、そこから陰(-)と陽(+)が発生する。
陰は地となり、陽は天となった。

イザナギ(+)とイザナミ(-)の天之御柱神事は、これに倣ったもの。
記紀神話では国生みの段でいきなり天之御柱が登場するので、それがどんな意味をもつのか、なぜまわりを巡ったのかがわからない。

アメノミヲヤの天地創造にもとづいた国生みの神事だったことが、『ホツマツタヱ』から読み解けるわけだ。

アメノミヲヤは宇宙のすべての神霊、魂の根源でもある。
その御柱は天と地をつなぐ柱となっていまも地球と僕らにエネルギーを送りつづけている。

柱のなかには九つの管があって、真ん中をアメノミナカヌシ(天御中主神)。
まわりの八つをそれぞれ「トホカミヱヒタメ」という。

妙見(天御中主神)を祀るフクシマ相馬氏の九曜紋は、アメノミヲヤの御柱(みはしら)を輪切りにしたようなカンジだ。


 相馬九曜紋

そういった視点からも、僕らはなぜフクシマで世界最大の原発事故が起きてしまったのか、考えてみるべきだと思う。

神人というのは、天と地をつなぐこのアメノミヲヤの御柱=天之御柱と一体化した人のこと。
神々を一柱、二柱とかぞえるのも、一般にいわれるような単に神霊が木に宿り、木が柱になるからって理由じゃない。
この辺は、スピリチュアルでいうところの「光の柱」と一致するかも。

アメノミヲヤの回転と柱のモチーフは、縄文のストーンサークルにも表現されていると思う。
ストーンサークルに死者が埋葬されたのは、死後に神となる祭祀がおこなわれていたからだろう。

もちろんそれは、再生、誕生の願いをこめた儀式でもあったろう。
アモト(宇宙の根源)にタマ(魂)が帰り、ふたたびもどってくる「ユキキノミチ(転生)」は『ホツマツタヱ』に語られる死生観であり、縄文の死生観でもある。

アメノミヲヤはサコクシロの中心にます。
サコクシロとはいわば宇宙の環のこと。
ようするに高天原のことなんだけど、記紀神話の高天原とはちとニュアンスがちがう。

サコクシロの中心はキタノホシ。北極星。

北極星といえば、古代中国の天皇大帝(てんこうたいてい)。
天皇の称号の元ネタとされる。

それまでの大王(おおきみ)から天皇(すめらみこと・すめらぎ)に変わったのは、663年の白村江の敗戦から十年後に即位した天武天皇のとき。
新生律令国家日本へとまっしぐらの時代だ。

とってつけたわけじゃない。
もともと北極星を中心とするなんらかの思想、もしくは神話があったからこそ、天皇って称号を選んだんだと思う。

大和朝廷は中央集権の律令国家建設にあたって天皇を万物(宇宙)の中心とし、天にはアマテラス(太陽)、地には仏教を置いた感がある。
そして民間をふくめ、いっさいの星信仰を封印してゆく。
だって天皇=宇宙の中心なのだから。

記紀神話を見ればわかると思うけど、こんだけ星が語られない神話はないって。
ほんのちょびっと、高天原に背いた悪神として出てくるだけだ。

日本は海に囲まれた島国。
海洋民、航海の民が、夜空の星を観なかったと思う?

隋書倭国伝には、小野妹子ら遣隋使一行が伝えた日本の政務についてこう記されている。
>天が明けないうちに政務をおこない、日が出たらやめる。と。

もろ夜型じゃん(笑)。

聖徳太子の時代にはまだ、政務は太陽ではなく星のもとに行われていたことになる。
星と太陽のあひだに、大王(おおきみ)はいた。

古事記が初発(はじめ)の神とする天御中主神にしても、国の正式な歴史書である日本書紀の本文ではすっかり無視されちゃってる。
律令型神話へと再編される段階で、天地創造神アメノミヲヤは消されてしまったのではないかと、僕は思う。

人民(おおみたから)は天皇の赤子。
人民にとっては天皇こそが、天の御親なわけだしね。

いまの神道では、僕らの魂は天照大神の分霊(わけみたま)とされる。
だがつきつめれば、天照大神も僕らも、アメノミヲヤの分霊。
ということになる。

アメノミヲヤは宇宙のすべての魂の、根源なのだ。


                                              2019.3.1
2019.04.28 / Top↑

天御祖神

天地創造神。
宇宙のすべての魂の根源。

『日本書紀』では、
>ときに天地(あめつち)の中にひとつの物なれり。かたち葦芽(あしかび)のごとし。
 すなわち神となれる。 国常立尊(くにとこたちのみこと)と申す。

『古事記』では、
>天地はじめてひらけしとき、高天原に成れる神の名は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

それぞれ国常立尊と天御中主神をはじめの神としていて、「天地いまだわかれず、陰陽(めを)わかれざりしとき」の神的存在については言及していない。

つまり日本の神話には、聖書のエホバのような天地創造神はいない。
ということになる。

聖書を教典とする唯一絶対神信仰とはちがって、日本は多神教。
日本書紀の冒頭の部分、「渾沌(まろか)れたること鶏子のごとく」も、多神教の宇宙卵型神話に分類することができる。
原初の宇宙は卵だったとする考え方だ。

近代文明をリードしてきた先進国はおおかたキリスト教国なので、僕らにとっても多神教より唯一神の方がなじみが深い。
多神教=未開。唯一神=文明。
どこかにそんなゆがんだものの見方がしみついちゃっている。

科学だって、唯一神信仰の思考パターンを受けついでいる。

だがもともと人類は多神教で、紀元前6世紀に捕囚となった一民族が、民族のアイデンティティを守るために編み出したのが、唯一神という特殊な信仰形態。

虐げられた彼らは、自分たちは神によって苦難の道を歩かされているのだと考えた。
それはこの世界をつくった唯一絶対の神であり、いずれ世界にはその裁きの時が訪れ、われらは神が遣わしたメシア(救世主)によって約束の地へと導かれ、救われるのだと。

その異常な信仰パターンが、のちにキリストの十字架のおかげで世界を席巻した。
局所的かつ排他的なカルト宗教が、超メジャーになっちゃったようなものだ。

20世紀の半ば、国際社会が地球環境問題に目を向けるきっかけとなった理論がキリスト教圏から発表され、多神教の母神の名をとって「ガイア理論」と名づけられた。
これは興味深い。

唯一神では地球環境は救えない。
そう宣言したようなものだからだ。

いったいほんとはどっちが未開なんだろうね。

ところで、多神教には天地創造神はいないのかというと、もちろんそんなことはない。
唯一神みたいに、いちいちしゃしゃり出てこないだけ。

多神教では、天地創造神は絶対神ではない。
時代やニーズの変化にともなって、主神だって変わってゆく。

そういった意味では、古事記や日本書紀にないからといって日本に天地創造神は存在しないと断定することはできないと思う。

たとえば平安中期の延喜式に記されたいわゆる式内社には、初発(はじめ)の神、天御中主神を祀る神社でさえいっさい存在しない。
必要とされなかったからだろう。

でも僕らはアメノミナカヌシという神を知っている。
古事記や日本書紀の一書に登場するからだ。

もしさらに古い時代の歴史書。たとえば『天皇記』や『国記』が現存していれば、もしかしたらそこには天地創造神にかかわる記述がまだのこされていたかもしれない。

律令国家建設にあたって、大和朝廷は太陽神アマテラスを高天原のトップに位置づけ、神話を再編している。
天地創造のニュアンスは、アマテラスの親神であるイザナギとイザナミに与えておけば、それで事足りた。
さらに古い時代の神々に言及するメリットはあまりない。
稲作以前の神は重要ではなかったのだ。

くりかえすけど、日本書紀と古事記が日本の神話のすべてってわけじゃない。

16世紀に日本を訪れた宣教師のひとりは、「(宇宙)卵が風で破られて天と地になった」という日本の創世神話を本国に伝えている。

そういう意味でじつに興味をそそられるのが、『ホツマツタヱ』に語られる天地創造神だ。

アメノミヲヤ、という神である...。


                                            2019.2.26
2019.04.28 / Top↑